DenchuLab.2018採択企画
臼井仁美「ここに 暮らす木、通う人 where trees grow, where people come.」
創作と生活の場が同居する旧平櫛田中邸に、しんと混ざり合う緑の植物。2018年度DenchuLab.(デンチュウラボ)参加アーティストの臼井仁美さんは、古い木材で構成される田中邸を「森」ととらえ、人間の営みと植物がそっと寄り添う作品展示を手掛けました。
展示最終日に、臼井仁美さん、造園家で株式会社プランタゴ代表の田瀬理夫さん、デンチュウラボ審査員でNPOたいとう歴史都市研究会理事長の椎原晶子さんを迎え、トークイベントを行いました。
それぞれ違うフィールドで活躍する3人の視点から交わされた示唆に富んだトークをご紹介します。
■DenchuLab.とはどんな企画?
(左から)司会者、臼井、田瀬、椎原
司会者:
臼井仁美さんによる展示「ここに 暮らす木、通う人」は、アーティストの新しい創作活動を応援するデンチュウラボという公募企画の制作発表展となっています。デンチュウラボとは、旧平櫛田中邸の空間および、周辺の地域環境を活かした作品制作、展示、活動企画といった特定のジャンルにとらわれない表現者の意欲的な活動を募集し、審査員によって選出されたアーティストが約一か月半田中邸に滞在しながら制作を行っていただくというものです。
本企画は、たいとう歴史都市研究会と谷中のおかってというアートマネジメントチームが一緒に「でんちゅうず」という名前で主催しています。でんちゅうずはアーティストと一緒に企画に向き合いながら、広報だけでなく地域のネットワークを紹介するといった、地域資源や人々とアーティストの創作と繋ぐような提案とサポートをさせていただいています。
開催第4回目を迎えた今年度は、審査員にたいとう歴史都市研究会理事長の椎原晶子さん、美術家の小沢剛さん、東京藝術大学教授でアートプロデューサーの熊倉純子さん、谷中のおかって理事の冨塚絵美さんを迎え、書類審査とプレゼン審査を経て臼井仁美さんが選ばれました。
臼井さんは1月上旬から田中邸に足を運び、ご自身の創作と田中邸に向き合いながら今回の展示を準備されました。では早速ですが、臼井さんから今回の展示と作品についてお話していただきたいと思います。
■頭の中であたためていたアイデアを試行錯誤した一か月半
臼井:
私は、大学の工芸科で漆と木工、その素材や技術、道具と作品制作について学びました。卒業後は、人がものを作ることへの原点に興味が遡っていき、木材となる前の樹木としての植物や、それらと人間の原初的な関わりに着目するようになり現在に至ります。具体的には、それまでは製材された木を購入して制作いたのですが、自ら森の中に入って素材となる枝などを採取したり拾ったりして制作しています。
このデンチュウラボの企画では初めて、植物と二酸化炭素についてのテーマを作品化しました。また、押し花と同じ方法で標本化した植物を扱ったのも初めてでした。
今回の展示は、大きく2つの構成に分かれています。まずは、田中邸アトリエの作品です。タイトルを「通う人のラボ、またはCO2を固定する家屋について考える部屋」としました。木は二酸化炭素を吸収しながら成長していくのですが、伐採されて材木にされても二酸化炭素を保持し続けるそうです。燃えたり朽ちるときになって初めて、それまで吸収した分の二酸化炭素を放出するという話を大学時代に聞き、ずっと頭の中に残っていました。この家に使われている木は、100年ほど前に木材へと形を変え、平櫛田中邸として二酸化炭素を固定し続けています。森が二酸化炭素を固定するものだとして、田中邸も家屋の形をした森なのではないかと考えました。 アトリエは二酸化炭素を可視化した田中邸という名の森で、この棚はその森の入り口です。風船を用いて二酸化炭素の可視化を試みています。また、ロープと葉で樹木を再構成したのですが、樹木の幹として使われているロープは、木から作られる材料であり、その姿は本来の木からかけ離れてしまっています。すでに木としての姿・機能は失われていますが、それでも繰り返される新たな植物の誕生を表しています。植物と二酸化炭素と人間についてのテーマの作品化は私にとって初めての試みですので、引き続き作品としてどうしたいのか、考察し続けるための場所でもあります。
〈通う人のLab.またはCO2を固定する家屋について考えるための部屋〉
植物、風船、ロープ(2019)
もう一つは、植物から多大に影響を受けている人間の生活、かつてはもっと親しかったであろう人間と植物の関係をテーマにしています。葉をじっくり観察することで、人間の生活道具の多くは植物の形や特性から生まれたものなんだろうなということを読み取ることができました。襟やカーテン、テーブルクロスといった作品は、そのような考えから制作に至ったものです。また、この田中邸は演劇の公演会場としてもよく使われると伺って、架空の舞台「松野原」の舞台道具をイメージした作品も制作しました。最後に、2階の床の間の作品も新しい試みのなか生まれました。素材となった植物は、椎原さんのご紹介で谷中の興禅寺さんというお寺の敷地で採取させていただいたものです。そのときに、企画を主催するでんちゅうずの皆さんや友人、椎原さんと一緒に採取したのですが、誰かと一緒に材料を集めるというのは初めてでした。その協働作業の感触をもとに、制作した作品になります。
〈舞台 松野原〉大王松、2019
■制作のきっかけと広がりをもたらす田中邸という空間
臼井:
今回の展示では田中邸と植物から制作のきっかけをもらっています。作品もこの建物に紛れ込むような形で存在させ、植物があるという空気を作品にしたいという思いがありました。
椎原:
臼井さんが色んないろんなお家やお寺さんを訪ね歩きながらだんだんと構想を重ねていき、ここ(田中邸)の中に世界を作っていくのを折々拝見させていただいて。 田中邸との折り合いというか、対話をされているんだなという姿を感じさせていただきました。
谷中にある興禅寺の庭で採取した植物を、田中邸で乾燥させている様子
司会者:
今年度のデンチュウラボは過去最多の応募がありまして、選考が困難を極めたと伺っています。椎原さんはデンチュウラボの審査員を務めていらっしゃるのですが、その中で臼井さんを選出された理由を聞かせていただきたいです。
椎原:
面白くて素晴らしい提案がたくさんあったのですけれども、田中邸に滞在することによって、田中邸で何かが生みだされて、その何かが成長していくという流れと可能性を臼井さんのプランから一番感じました。あとは、田中邸の建物だけでなく、上野桜木にある自然や地域とのつながりが活かされる要素が垣間見えまして、臼井さんにお願いしたという次第です。
司会者:
田瀬先生は、田中邸も臼井さんの作品も今日初めてご覧になったということですが、どんな感想を抱かれましたか。
田瀬:
ここに初めて足を踏み入れたとき、平櫛田中先生とその家族の暮らしぶりを想像してみました。小さいけれど、何とも豊かな楽しい空間だったのではないかなと。創作の場と住居が一緒になっているお家なので、長い時間を田中邸で過ごしていると、外に目が向くと思うんですね。庭とか裏にある谷中霊園とか。しばらくここの住民になってものをつくると考えたときに、ここから出て探して植物を採ってという臼井さんの制作プロセスが、この空間にいるからこそ導き出される行為だったんじゃないかと感じました。
僕は、東京藝術大学でしばらく非常勤をしていたときに、キャンパスの植物の貧弱さが気になっていて。せっかく藝大で絵を描いたりするときにスケッチするものがないじゃないかと思っていたんです。それと似通った感覚を臼井さんの作品にも見て取れて、環境だけでなく空間から生まれる眼差しがあるのだと改めて気づかされました。
母屋のサンルームに展示された臼井の作品と、ガラス戸越しに見える中庭
〈テーブルクロス〉ヒカゲカズラ、2019
■「建材砂漠」の中で薄れていくありのままの自然
司会者:
実は、今日田瀬先生にお越しいただくことになったのは、臼井さんきってのご希望があったからなんです。植生とランドスケープの観点からまちに人の居場所をつくるという田瀬先生のお考えと、人と植物がそっと寄り添う関係を形にする臼井さんの活動は、どこかリンクする部分があるなと思っています。臼井さんが田瀬先生にお話を聞きたいと思った理由を改めて教えていただけますか。
臼井:
「葉」という素材ををじっくり見るきっかけになった出来事がありまして。藝大上野キャンパスの間を通る道路に面した場所に、武蔵野の植生を取り戻す「藝大ヘッジ」という取り組みがあるのですが、本当に色んな植物が植えられているんです。学校にいくときは大体急いで行かないといけないんですけど、あそこを通ると植物についている名札をつい見たくなるし、急いでるのに困ったなぁみたいなことになります。(笑)そこで初めて、葉っぱの形やその多様さに気づかされたんです。今回の展示もその気づきの延長線上にあると言えます。そして、その藝大ヘッジを田瀬さんが手掛けられていると椎原さんから伺って、ぜひお話してみたいと思いました。
田瀬:
ありがとうございます。話にあった藝大ヘッジというのは、キャンパスのフェンスの外側にできるだけたくさんの植物を植えようという活動です。植物があると葉っぱが落ちて、土の中が多様になっていくんですね。そこに虫がきたり、鳥がきたり、変化が重なっていくんです。コンクリートやガラスだとそういうことにはならない。
僕は、東京で生まれて東京で育って60数年経ったんですけど、子供のころにあった原っぱというものはほとんどなくなってしまった。林や畑もなくなって、アスファルトとコンクリートだけの東京半径60キロ以内を「建材砂漠」と呼んでいます。そんな、植物と生物の種類が少ない環境にいると、外をみても面白くない。だから逆に建物の中に閉じこもって、その中にだけ面白いもの、きれいなものが溢れていっていると。そんなことを考えたときに、臼井さんの作品は、この建材砂漠の中でどうしていくのか?かつて身近にあった自然はどこへいったのか?という疑問を思い出させる表現だと思いました。
田瀬理夫さん
■上野のお山と田中邸という「森」を受け継いでいく
椎原:
建材砂漠とまではいきませんが、田中邸が位置する上野もかつての姿とは違う地になりました。もともと上野のお山の一部で、原生林があったそうです。それが江戸時代には、お寺をつくるために平にされました。明治になると博物館や藝大が建てられて、そのことからわかるように今日の上野は人間の営みで造成されてきた地なんです。私が藝大に通っていたころはそれでも、管理されていない原っぱがまだ校内のあちこちにありました。そこには色んな草が生えていましたし、しゃがみこんでいる人がいるなと思ったら日本画の学生さんが丹念に葉っぱを描いていたり、そういう光景があったんですけども。最近奏楽堂や図書館も建って、キャンパスの中の植物の多様性もここ20年で失われてきたなと感じています。
そんな中、「田中邸は森である」という臼井さんのプランを審査で伺ったときに、「確かにそうだな」と思うと同時に上野のお山と同じく守っていくべき空間なんだと再認識することになりました。木造建築は修繕すれば100年でも200年でも持つので、「森」としてあり続けることができる。上野のお山は変わってきていますが、木造建築を守ることもまた、「森」を受け継ぐことなんだと。そのようにして、変わらないみんなの想いを上手に繋いでいくことはできるのではないでしょうか。
司会者:
田瀬先生や椎原さんのお話を聞いていると、アーティストが田中邸を拠点に創作活動を行うこと自体が、色んな方向に影響と発見を与えてくれるのだと気づかされます。植物と人間の関係をテーマにする臼井さんのお話を手始めに、建材砂漠となっている都会の乏しい自然環境や緑豊かだったかつての上野の風景まで、なかなか聞くことのできない貴重なお話ですね。
■これからのデンチュウラボに期待すること
司会者:
最後に、今回の臼井さんの活動もふまえて、これからデンチュウラボと田中邸がどのような可能性を開いていく場になるのかご意見いただければ幸いです。
田瀬:
「平櫛田中になりきる」ことができるまたとない機会だと思います。それはつまり、創作することと暮らすことを一緒に考える空間を独占できるということです。また、アトリエでの制作に徹するだけでなく、田中邸の周りも見れるようにアーティストを導くとここにいる意味がさらに変わってくると思うんですね。田中邸の窓は曇りガラスで外の風景が生憎見えづらいのですが、そこを開け放つように視線を外に促していく。そのようにして、この空間だからこその表現が創出されていけば面白いんじゃないかなと思います。
玄関に展示された作品〈障子葉の障子戸〉(左奥)と〈デッキブラシ〉(右)
〈障子葉の障子戸〉檜、2019
〈デッキブラシ〉五葉松、2019
椎原:
臼井さんもそうですが、アーティストから田中邸を新たに発見する方法をアートの力で提案してもらっていると感じています。今回臼井さんには家の中をすごく読んでいただいて、デッキブラシとか植物をレースに見立てたカーテンとか、元々そこにあったかのような作品を作っていただきました。また、ここで過ごしていただきながら、「これからやってみようかな」と構想段階だったことに取り組んでいただいて私たちもとても嬉しいです。
私たちは、この建物を活かしたアートマネジメントの次なる一歩を日々考えていますが、日頃管理しているとだんだん新鮮さが失われてしまうというのも本音です。そんな折にアーティストと場所の化学反応を見せていただいたことは非常にありがたかったなと思っています。デンチュウラボのように、皆さんの発想やアイデアをお寄せいただける場として田中邸を活かしていきたいです。
〈東にかかるカーテン〉名称不明の植物、2019
臼井:
これまで一人で黙々と制作していたんですけれども、でんちゅうずのみなさんや地域の方といった様々な方と触れ合いながら制作を進める体験を初めてさせていただきました。今回の経験を糧に、社会とのつながりを意識しながら色んな人と一緒に企画や展示を作っていきたいです。また、デンチュウラボの応募要項に「まだ形になっていない表現や作品アイデアを試す研究・発表の場です。」と書かれていたことが私を後押ししてくれたように、伴走してくださるでんちゅうずのみなさんのもと、新たな創作を試したり表現にとことん向き合える場として今後も続いていくことを願っています。