
初めて卵焼きをつくった。意外とおいしくできたものの、薄っぺらくて少しパサパサになった。まだまだ改良が必要。
私の好きな卵焼きは、母親がつくったのと、バイト先の小料理屋の卵焼きだ。
甘くて、とろっとした部分が残っているのがいい。
黄色い食べ物は幸せな感じがする。
そういう理由でオレンジジュースばかり飲んだりしてしまう。

初めて卵焼きをつくった。意外とおいしくできたものの、薄っぺらくて少しパサパサになった。まだまだ改良が必要。
私の好きな卵焼きは、母親がつくったのと、バイト先の小料理屋の卵焼きだ。
甘くて、とろっとした部分が残っているのがいい。
黄色い食べ物は幸せな感じがする。
そういう理由でオレンジジュースばかり飲んだりしてしまう。
会場だったビルから飛び出して、いいもん見たー!と思った。
単に最近悶々としてたからかもしんない。
久々に頭の中を換気して、新鮮な空気を取り入れた気がした。
でも、世に一般下らないと思われること、あそこまでまじめにやられると、
逆に彼らから何か反発のエネルギーを感じざるをえない。
別に不快だったわけじゃない。
むしろ快いもの見て、でも一方で、バカにされてる気がした。
いい大人がって言われたら全部ぶっ壊れることをやってるから。
あそこまで本気でおむちゅびとか言えますか。
パンパン言いながら戦えますか。
あそこまで汗水たらして本気でやってる彼らのエネルギーの根源が知りたい。
痛快だったのは、くだらなかったから。
でも、安易に陥る思い込みを裏切るあたり絶対なんか持ってると思う。
大抵の大人は白と黒の絵の具きっぱり分けようとするけど、彼らはたぶんその2つ混ぜて、でも混ぜきらずマーブルにしといて灰色だとかも言わせないんだろう。
たぶん、何色とか決めたがる、そのためによく見てうーんて考えて、○色だって世の中既存の1つの型にはめようとするその過程、全部全力でバカにされてる気がした。 てかそんなんどうでもいいのかな。
あの人たち面白い。
ミュージカル見て以来初めて、音楽とか迫力がどうのこうのなんですとか思わなかったな。
島のお誕生会
香川県豊島にある島キッチンで行われているイベント。
島キッチン
瀬戸内国際芸術祭2010に、豊島の集落の空き家を安部良(建築家)が設計・再生した「食とアート」で人々をつなぐ出会いの場。
島のお誕生会開催概要
頻度:月1回
日時:土日祝 14:00~15:00
場所:月による(島キッチンテラス、豊島唐櫃公堂、豊島棚田など)
費用:参加費無料?月により食事代(縁日の参加チケット500円、特別料理300円、デザート200円など)
内容:毎月違う内容(コンサート、ティーパーティー、縁日、映画上映など)パフォーマー、マジシャン、英語の先生、料理人などが登場(2人登場の月もある)
12月4日(金)
青色は自殺を減らす効果のある色らしい、という話を聞いた。
ブルーシートを見に行った。晴れてよかった。
初めて千川という駅で降りた。うねる道路と、小さな高低差のたくさんある土地。建物は鋭角に尖っていたり、奇妙な色使いだったり。フラメンコギター教室があったり、店員のいない店ばかりだったり。
溢れ出る”誰かの地元感”・・・
個人的に路地裏が上下にも左右にもうねっているのがツボだった。特に何もないのにこんなに面白い街は初めてで感動!
廃墟のような中学校、の校庭。
とにかく寒かった。最後の方は演者にまじってイス取りゲームしたいくらい寒かった。
それでも観れてよかったなと思う。
自分たちに言い聞かせているような言葉や笑顔、客席へ向かって語るときの目が印象的だった。
当たり前だけど、あんな体験をした彼ら彼女らにしかできない公演だった。だから伝わってくる。彼ら彼女らもブルーシートをやることでなにか変化があったりしたのではと勝手に想像した。
雲ひとつない青空の下で、真剣に観入っているお客さんの顔がよく見えて、素敵だなと思った。
先日、ちょりさんが参加するturnの準備として障害者の方々のバンド練習を見学させて頂きました。
他の施設とは違うとは聞いてたけど・・・驚いた。
何にというと、そこにいた一般的に障害者と呼ばれる人たちの存在そのものと、その存在のしかた。
ほんとにただの友達でしかない。
そもそも彼らを障害者と言っていいのか?
もちろん彼らには生きていく上で何かしらのハンデがあるかもしれない。
でもハンデはあるけど、余分なものがない。
良い意味で子供のまんま、そしてどんだけ感受性の強いことか。
音が大きい、ノれる、やりたい、やりたくない、叫びたい、寝たい、楽しい、つまらない・・・
何かに小さく心を動かされる、あるいは欲望が掻き立てられることは生きててあるけど、それが些細なことだったり当たり前と思ってたり、或いはそんなのに従ってたら他人に迷惑かけるとか、そんな風にして多くの人はそれをスルーしたり殺したりして生きてると思う。
でも彼らにはそれがない。
どんなに小さなことでも敏感に感じとる、反応する。
もちろん多くの人が大人になるにつれて色々学んで大人しくなっていくのは、社会で生きていくために必要だから。
だから共存できるし、それがなかなか難しい人のことを障害者と呼ぶのだろう。
でも逆に言えば、多くの人が心を抑圧して生きてて、そんなことしてるとだんだん鈍感になってくる、或いは知らぬ間に溜まっていっていつか爆発する。 そんなことが起きてる世の中で、彼らはすごく貴重な存在で、大抵の人が忘れてしまうものをもってるんじゃないかと思う。
何で突然大声を出したりぴょんぴょん跳んだり跳ねたりするのか。
それは彼らが魂そのものだからと思う。
それに障害とはいうけど、それは単なる突出した個性だと思う。
でもそんなこともいっぱい思ったけど、私は彼らのことをまだよく知らない。
し、今までちゃんと接したこともないから正直緊張したし、疲れた。
けど、あの空間はおもしろかった。
自分も不器用だしどんだけ時間かかるかわからないけど、慣れて私も単なる友達になりたい。
ひとつ気になったのは、下ネタ好き女好きのおっちゃんがいること。
いっぱい絡んできてくれたけど、その時は緊張してただけで正直おっちゃんが想像するほど私は女子じゃない。
から防備も兼ねて、今度からボーイッシュな格好していこうと思う。
そしてあんま関係ないけど、ドラムをやらせて下さいました。
初ドラム、楽しかった!
そしてよくわからないけどライブの前座一緒にできるかもみたいなわくわくなことも起こりそうで・・・
そんなことも含めて、全く未知の世界にどかんと飛び込んだ感じ。
何もわからない。
わかってないので、手ぶらで計画なしの旅に出てきて初めて何か知らない国に出てきちゃった、だからこれからここを開拓すんぞみたいな、そんな旅人の気分がする。
スカンク展は自分と他人、内と外を感じる展示だった。
そのためか、7日のパフォーマンスのとき、田中邸の中は体内で壁は皮膚のように思えた。
皮膚を通り抜けて現れたパフォーマーたちが、内側で予想外の動きをする。そしてまた皮膚を通り抜けて外側へ帰って行く。
他者の存在によって自分の意思とは関係なく影響をうけていることのようにも思える。
みどり、きいろ、ブラジルの国旗のイメージで塗った。
出来上がったお茶碗は、2色しか使ってないとは思えない色になっていた。
大地の色か、海の色か。
このお茶碗をつかって、カンジャパーティーを企んでいる。
カンジャとは、ブラジルの伝統料理でトマトリゾットのようなものだ。
サンバ部が毎年藝祭の模擬店で出している。
カンジャパーティーを私の部屋で開催することで、部屋の掃除をして、料理が作れるようになる。
それは豊かな一人暮らし生活への第一歩になるのではないか、という期待をしている。
結局は友達と集まって騒ぎたいだけだけど。
野点のお茶碗は、消えない魔法がかかってるみたいで、部屋の食器棚のなかで野点のわくわく感を漂わせている。
本番が終わっても、作ったお茶碗でまた新しいわくわく(カンジャパーティーのような?)をうみだすことができる。
そんなふうに、人の手元にも心にも残っていくのだと思った。
メタリックな色は不思議だと思う。
私は鳩を思い出す。鳩の首の色。
なんで自然界であんなメタリックな色をつくりだせちゃうのか。
そろそろ冬に成ろうとしています。おかってに所属され、活動ほ開始はじめたから半年以上経ちましたね。本当、「time flies, clock ticking」です。
(自分勝手に)おかっての重要なイベントのなかで一つであるぐるぐるみっくすは余り参加せず、でも子供の前には何も出来ず無能になってしまって仕方がないという言い訳と一緒に、この点はお詫びいたします。
ぐるぐるミックスでは参加全然しなかったのですが、他にも色々あったでしょう。田中邸を味わう日やスカンクと他の色々の展示、じんじんさんとの楽しい野点・・・おかげさまで自分のアートを見つめる視線に関しても少しだけは影響を受けたかも知れません。
さて本論ですが、今日はちょちょちょちょちょちょ好きなちょりさんのお願いにより、今まで経験したアートイベントのなかで幾つかを振り返りながら文を書いてみようと思います。
正直におかってに入ってから初めの印象は「この人たちなにをしたがっているのか」でした。そして今もその気持ちは構いません(…)しかし「何をしたがっているのか分かっていない」状態であったこそ、色々予測不可な企画たちができるでしょう。
その中で印象に残ったのを選んだら、やはりじんじんさんとの野点と躊躇わず言えます。じんじんさんとは、おかってのイベントで始めて出会った訳では無いのですが、でもおかってと一緒に活動したものの中で、忘れの出来ない印象を与えてくれたのです。
じんじんさんの「(きむらとしろうじんじんの)野点」はもちろん外側でみたら、ただ「自分がお茶碗で色づけてそれて飲みながら遊ぶ」だけなのです。しかしその中で私はどのようにアートを見ながら活動していかなければいけないか、色々考えを齎したのです。それは何でしょうか、何よりも大事なのは、「皆と一緒にアートをする情景」でしょう。自分はクラシックで活動する者で、私の活動領域でこの「場」を作るのはとっても難しい課題であるかもしれません。危くと、クラシック・コンサートがジャニーズのコンサートのようにその性格が覆されちゃう危険もあるのです(勿論場合によってそのようになるのも悪くはないと思いますが・・・)。言い直すと、それは「偏らないこと」です。アーティストとして最小限のプライドを守ることと、境界を破って観客と演奏者である私と一緒に「場」を作ることの間のバランスを取ること。じんじんさんはそのバランスを取るのにとっても熟達されていると私は見えたのです。私の目に見えたじんじんさんの姿は、自分の仕事に夢中になってる姿、お客と一緒に話している、アーティストと客とスタッフの区分を全然考えていない天然性(?)、そのうえ自分の才能を誇らない謙遜に重ねて、全ての姿が分離されていなく、むしろ同時に見られたのです。
ここまで言うと完全に蛇足ですが、じんじんさんは(今としては)性的少数ではないですが、じんじんさんの作業する姿自体は、私に数え切れない量の勇気を与えてくれました。私はアートをする同時に、自分の中に悩んでいたジェンダーやエキスタンシー(自我の存在性)の問題に大きい関心を持っていました。それに関して、じんじんさんは私にどのような姿で社会で直面し、アートをやるべきか、回答まではいえなくてもせめて一種のヒントは出来たかもしれません。
たぶんあっという間にじんじんさんに憧れたかも知れません。「じんじんさんを見習う」とか「じんじんさんになりたい」訳ではないですが、自分も自分なりのアートをするとき、私も私なりの「チャーミング」な形のアートをして行こう。という思いを持っているのです。
更新がだいぶ遅くなってしまいました。
先日10/18、きむらとしろうじんじんさんの「野点」が無事終了いたしました。
大きな事故もなく、何よりのんびり同じ時間と空間を共有しているカオスな光景がとても心地よい現場だったと思います。
さて、私が今回初めての野点で印象に残ったもののひとつに「お茶碗」があります。
驚いたのは、誰がどう絵付けしても、焼き上がったお茶碗が全部すごく素敵に見えたこと。
(そんなこと言ったら先生に笑われましたが)
もちろん野点でのお茶碗が、
スーパーの調味料ゾーンにあるような、
誰が作っても簡単美味しい料理ができる”○○の素”のようなものみたいだったとかそういうことではなく、
いびつだとか綺麗に仕上がってるとか予想外になっちゃったとかいう部分に、
その人の不器用さとか情熱とか一生懸命さとかおもしろさが素直に出てて、
それがじんじんさんの燻しで深みを増して、
磨いた時に、その込められたものに圧倒するような、すごく愛着のわくものが出てくるんです。
だから野点で出来上がるお茶碗はみんな好きだ、と思ったんですけど、
そのうち特に心に残ったのが、そのプロセスも含めた、ある山谷のおじさんの器。
そのおじさんは器全体に、
赤茶色の釉薬を厚塗りしたときに出る
金色と黄土色が混ざったような渋くて味のある色を出したくて、
「こんぐらいかな?まだかな?」と何度も聞いて、一生懸命2番の釉薬を塗っておりました。
そんなとき、おじさんに「16ばんと27ばん!」とアドバイスしたのが小学生の男の子。
彼もその日お茶碗を作っていて、
その出来上がりはというと大人顔負けというか、
青緑の絶妙なまだら具合といいしかしその大胆さといい
偶然できた美しいメタリックな光沢といい、
しかもその光沢は、男の子誰もが憧れるような、ウルトラマンとかのヒーローが放つような勇ましい光沢で
彼の憧れがそのまんま現れたみたいで、
あれが計算にしろ偶然にしろ
「きみ天才かよ!」と言いそうになるほどの出来映えでした。
そんな彼のお茶碗を磨きながら、「もう陶芸の師匠ですね!」と何度も誉めちぎっていたのが、例のおじさん。
そこで2人は仲良くなって、その日その後よくお喋りしていました。
男の子は自分の腕に自信満々、器も誇りで仕方がなく、「16ばんと27ばん!(←青と緑)」を色んな人に普及させようとしていました。
そしてその男の子におじさんがアドバイスを請うた時にも、彼が言ったのは「16ばんと27ばん」。
おじさんも彼がかわいくてしょうがなく、師匠師匠と慕いまくってお互いとても仲良しになっていたようで、
あまりの押しように、そこは師匠のアドバイス、
おじさんもちょっと渋々だけど「えぇ~?」と笑いながら赤茶の器の内側に青緑を塗り始めました。
その後は、静かに黙々と青緑を塗っていました。
見ていた私も正直、君のは確かに綺麗だったけど、さすがに赤茶色に青緑はちょっとどうかな・・・?と
あんなに渋くていい味の器作りたがってたのに、おじさん、ちょっぴり、嫌じゃないかな・・・と、思ってしまいました。
でも、そのお茶碗が焼き上がったとき。
もう日も暮れて、最後の磨きかなと思って取ったお茶碗が偶然、
街灯の下でちらと見たとき、色の組み合わせからすぐおじさんのだとわかりました。
で、驚きました。
単純に以外といい組み合わせになっていたことにも驚きました。
でもそれ以上に驚いたことがあって、
それは、
内側の青緑の深さでした。
今思うと薄暗いオレンジの街灯によるコントラストのせいかもしれません。
でもその時見たおじさんの青緑は、
その器の空間より遥かに大きくて温かくて深く深く、
そして男の子の青緑と同じように、確かにメタリックに光っていました。
ただの青緑に表れたその温かさと荘厳さに、私は一瞬ショックを受けました。
私が磨き始めてまもなく
そのおじさんが自ら「磨こうか?」と声をかけてきてくれ、
最後まで
ご自身で仕上げて帰られました。
背中を丸めて黙々と丁寧に磨いていたおじさん。
その時どんなことを考えていたのか、聞いてみればよかったな。
今はどんな思いでお茶碗を眺めているでしょうか。
以外といい仕上がりになったなぁ、と驚きにやにやしているか。
はたまた、やっぱりちょっとなぁ・・・と苦笑しているか。
でも、そんな中で、
あのちっちゃい師匠の姿が、浮かんだりしてるのでしょうか。
今度お会いしたら、聞いてみたいです。
そしておじさんとあの師匠が、
これからも日常の中で、当たり前のようにまた会えることを願います。
8月15月は韓国での終戦記念日でした。関係ないですけど。
何しろ8月15日(本番)以前まではカカカフェというイベントに行ったことがありませんので、いったい何するところだろうか、全然分かりませんでした。
一応カカカフェの調べがてらの調査をすることになりましたが、本番行かずに説明だらけの調査なんてもってのほかと思って、やはり本番行くのが大事でしょう?15日が本番でしたので、行くことにしました。
カカカフェの名前自体は、最初はどもりをコンセプトにしたカフェでした。って。カフェのなかのラジオを聴きながら、夕方の田中邸を味わうなんて、初めに聴いたときには想像さえ出来ませんでした。だから本番行くのが大切というか、切実というか、そういう感想でしたよね。
一応下調べの感じで色々考えたときには、果たしてカフェ。というところと、どもりコンセプト中心のいろいろの実験的な(?)ラジオと、互いに雰囲気が溶け込めるかとうか、疑いとかがありましたよね。不安と言うか。
本番をいったところ、はじめの感想は、なんと言うか、「今日だけでは全然分からない=あ=!!」という感想?お客様も少なかったし、ラジオのほうも電波のせいかよく聞き取れが出来ませんでしたし。なによりも、悪い電波のなか、夜中に流れてくる大西さんの声が怖いという感情がすごかったです。大西さんよりもあのDvorakの交響曲から出たらしい詩じたいは、なんというだろう。微妙な感情。
初めにはお飲み物の種類の数のほうも心配でしたが、お客様の大体はお茶だけでも満足しているだけで、あまり問題はなさそうでした。子供とか幼い学生とかも来ないし、あまり甘口はありませんからね。(私を除く。)
でもなによりも、はたしてラジオの内容が田中邸にての夕べを悠々に過ごさせたのかどうかはよくわかりませんでした。ラジオの内容その自体は、「たしかに、おかってだな。」という思いをさせましたがw。
でも常連(?)のお客様たちはこれはこれなりでも満足しているようで関係ないかなーとは思いますけど、たしかに、何か足りないな。という感想はやはりですね。外国人であったためにあまり聞き取りが悪かったのは論外にしてもw()
一応、今日だけではなにか足りない!おいう感想が結論だった。としておきましょうか。あとで何回かまた行ってもっと判断していきましょう。
つめたいおみずはおひめさまのよろこび。