更新がだいぶ遅くなってしまいました。
先日10/18、きむらとしろうじんじんさんの「野点」が無事終了いたしました。
大きな事故もなく、何よりのんびり同じ時間と空間を共有しているカオスな光景がとても心地よい現場だったと思います。
さて、私が今回初めての野点で印象に残ったもののひとつに「お茶碗」があります。
驚いたのは、誰がどう絵付けしても、焼き上がったお茶碗が全部すごく素敵に見えたこと。
(そんなこと言ったら先生に笑われましたが)
もちろん野点でのお茶碗が、
スーパーの調味料ゾーンにあるような、
誰が作っても簡単美味しい料理ができる”○○の素”のようなものみたいだったとかそういうことではなく、
いびつだとか綺麗に仕上がってるとか予想外になっちゃったとかいう部分に、
その人の不器用さとか情熱とか一生懸命さとかおもしろさが素直に出てて、
それがじんじんさんの燻しで深みを増して、
磨いた時に、その込められたものに圧倒するような、すごく愛着のわくものが出てくるんです。
だから野点で出来上がるお茶碗はみんな好きだ、と思ったんですけど、
そのうち特に心に残ったのが、そのプロセスも含めた、ある山谷のおじさんの器。
そのおじさんは器全体に、
赤茶色の釉薬を厚塗りしたときに出る
金色と黄土色が混ざったような渋くて味のある色を出したくて、
「こんぐらいかな?まだかな?」と何度も聞いて、一生懸命2番の釉薬を塗っておりました。
そんなとき、おじさんに「16ばんと27ばん!」とアドバイスしたのが小学生の男の子。
彼もその日お茶碗を作っていて、
その出来上がりはというと大人顔負けというか、
青緑の絶妙なまだら具合といいしかしその大胆さといい
偶然できた美しいメタリックな光沢といい、
しかもその光沢は、男の子誰もが憧れるような、ウルトラマンとかのヒーローが放つような勇ましい光沢で
彼の憧れがそのまんま現れたみたいで、
あれが計算にしろ偶然にしろ
「きみ天才かよ!」と言いそうになるほどの出来映えでした。
そんな彼のお茶碗を磨きながら、「もう陶芸の師匠ですね!」と何度も誉めちぎっていたのが、例のおじさん。
そこで2人は仲良くなって、その日その後よくお喋りしていました。
男の子は自分の腕に自信満々、器も誇りで仕方がなく、「16ばんと27ばん!(←青と緑)」を色んな人に普及させようとしていました。
そしてその男の子におじさんがアドバイスを請うた時にも、彼が言ったのは「16ばんと27ばん」。
おじさんも彼がかわいくてしょうがなく、師匠師匠と慕いまくってお互いとても仲良しになっていたようで、
あまりの押しように、そこは師匠のアドバイス、
おじさんもちょっと渋々だけど「えぇ~?」と笑いながら赤茶の器の内側に青緑を塗り始めました。
その後は、静かに黙々と青緑を塗っていました。
見ていた私も正直、君のは確かに綺麗だったけど、さすがに赤茶色に青緑はちょっとどうかな・・・?と
あんなに渋くていい味の器作りたがってたのに、おじさん、ちょっぴり、嫌じゃないかな・・・と、思ってしまいました。
でも、そのお茶碗が焼き上がったとき。
もう日も暮れて、最後の磨きかなと思って取ったお茶碗が偶然、
街灯の下でちらと見たとき、色の組み合わせからすぐおじさんのだとわかりました。
で、驚きました。
単純に以外といい組み合わせになっていたことにも驚きました。
でもそれ以上に驚いたことがあって、
それは、
内側の青緑の深さでした。
今思うと薄暗いオレンジの街灯によるコントラストのせいかもしれません。
でもその時見たおじさんの青緑は、
その器の空間より遥かに大きくて温かくて深く深く、
そして男の子の青緑と同じように、確かにメタリックに光っていました。
ただの青緑に表れたその温かさと荘厳さに、私は一瞬ショックを受けました。
私が磨き始めてまもなく
そのおじさんが自ら「磨こうか?」と声をかけてきてくれ、
最後まで
ご自身で仕上げて帰られました。
背中を丸めて黙々と丁寧に磨いていたおじさん。
その時どんなことを考えていたのか、聞いてみればよかったな。
今はどんな思いでお茶碗を眺めているでしょうか。
以外といい仕上がりになったなぁ、と驚きにやにやしているか。
はたまた、やっぱりちょっとなぁ・・・と苦笑しているか。
でも、そんな中で、
あのちっちゃい師匠の姿が、浮かんだりしてるのでしょうか。
今度お会いしたら、聞いてみたいです。
そしておじさんとあの師匠が、
これからも日常の中で、当たり前のようにまた会えることを願います。