ついついここをこーしたくなっちゃって知らず知らずのうちにそんなことになっちゃったことについて

色々あるんだと思います

コミュニケーションツール、としてだとか
ストレス発散、だったりとか
ガス抜き、に使われたりだとか
それがもたらす快感の中毒性によるもの、だったりとか
高い技術に対する憧れ、だったりだとか
ただたんに巡り合わせのなりゆき、だったりだとか
思い込みが引き起こした結末、だったりだとか
日々の習慣の一部ってこともあるだろうし
世界を認識するための補助線だったり
生きる行為そのものであったり
気が済まないだけ、だったり
いい訳だったり
負け惜しみだったり
ご愛嬌、だったり
暇つぶしだったり
顕示欲だったり
名誉欲だったり
政治欲だったり
所有欲だったり
情念だったり
祈りだったり
叫びだったり
メッセージだったり
とある作業の痕跡だったり。

それは、全部、全く違うことだと思うんです。

その人が体験していること、その結果と出会った人が感じること、すべて、あまりにちがうから、なぜ同じ箱に入れなければいけないのか理解が出来ないのです。
最初は箱がこれしかなかったから、宝物はみんなこれに入れてました。
いつから「理解が出来ない物を入れる箱」になってしまったのか、思い出せないのです。
だから、すこしずつ箱を分けようと思って、いま箱を用意しているんです。ひとつひとつ大切な物だから、個別包装することになって、中で壊れないように、外から見てなんだったか思い出せるように、その二つだけを気にしているだけなのですが、これがなかなか終わらない作業で、ついついどーせなら可愛く、とか、せっかくだからきれいな箱に、とかついつい、ほんとにいつ自分がそれを考えてるかわかるくらいだったらその意識を抹消したいくらい、これのせいでどれだけのものを失ったか。
だって、だれかが、プレゼントだと勘違いして、持っていってしまうんですもん。

まだまだ包装しなきゃいけない物は沢山あるし、奪い返す暇がない。置き場にもこまってたから、いいんですけどね、もう。
ただ、遠くに持っていかなくたっていいじゃないですかね。ここにあったものが、わたしへの贈り物だっておもったなら、わたしの場所にあろうがあなたの場所にあろうがわたしたちのものだったってことじゃないですか。ここにあった、ここで出会えた、その喜びだけじゃ、なぜ満ち足りないのか。でも、いいんです。わたしは、箱から出さずに中身を壊さないで持っててもらえるなら、どこにあろうと。ただ、心配なんです。壊されやしないかと。だから、目の届く範囲においておきたい。私も、箱を開けたりはしません。もう、二度と開けないけど、そのときの空気とともに閉じ込めたかったんです。未来から守りたかった。未来はすぐ大切な物に新しいラベルを貼って、別物だったことにして、なかったことにしてしまう。

なぜ開けたがるんでしょう。開けないと、あるかないかわからないんでしょうか。
開けたところでわかるんでしょうか。

どっちでもいいですけどね。わたしには梱包したい、大切なものが目の前に沢山あるし、生きてる間に到底やり終わらないくらいの作業が山積みですから。それどころじゃないんです。腐ってしまう前に、消えてしまう前に、砂や風で舞ってしまわないように、ここに包んで、こうしておきたいんです。

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ってことで、わたしはporaporaと、残したいものをここにピックアップしていこうかな、と、思っております。

夏です

ほなみです。

暑いですね。
早くも溶けそうで来たる真夏が怖いこの頃です。

つい先日、今年初めて祭りの太鼓の音を聞きました。
地元の幼稚園の夕涼み会と、通りを練り歩く御輿から風に乗ってきた音です。
子供たちの声も聞こえてきました。

それを聞いて、あ、夏なのか、と初めて気づきました。

小学生のころなんか、1学期最後の帰りの会で「さよーならー!」を言い終わった瞬間にもう見えてる世界が全て夢に変わる、みたいな、

ラジオ体操もプールもセミの声も祭りも樹木のコントラストもベランダの簾も梅ジュースもノースリーブのワンピースもアイスノンも
ぜーんぶ夢みたいで毎日わくわくうひょうひょしてしょうがなかったんです

大人に近づくにつれ、いつのまにか忘れかけておりました。
(まだ18ですが)

あかんですね!

見える世界ってだんだん現実的にならざるを得ないと思うのですが、
それだけじゃなくて、
現実が大変なときこそ心がわくわくすることをどんどん創っていかないと、人間生きていけないんじゃないかと思います。
最近は特にそう思います。

当たり前のことですが、太鼓と子供たちの声がそんなことをふと思い出させてくれました。
同時に、そうか、あの子たちが迎えている夏はきっと昔の自分が生きてた夏と同じなのか!と思いました。

あんだけわくわくしてた夏を過ごすのは子供じゃなくても出来るかもしれません。
だって自分が存在しているのは既にそういう世界で、
あとは自分がそれに気づけるか、そう捉えられるかどうかですから。

来たる夏、わくわくです。
暑さだけには気をつけようと思います。

長くなりました。はりきったらしいです。
これからどうぞよろしくお願いいたします。

「何から始めましょうか」

イムです。

ピアニストです。視覚芸術家(コスプレイヤー)です。パフォーマンス・アーティストです。音楽研究者です。etc.です。正確に何者かは自分もよく分かりません。

さって、何から始めましょうか。

この質問の意図は本当に大事であると思います。

自分は主に現代音楽の演奏者なんで、この観点において説明してみましょう。

何から始めるか。この指から弾き始めたらいいだろうか、旋律のポリフォニーはどこから読んだらいいだろうか。それとも作品の背景から研究し始めようかな?

どっちで始めても、たぶん素敵な話の世界が広がるはずなんでしょう。

さって、どこから始めましょうか。自分なりの話を、自分なりの物語を、始めましょうか。

お姫様はまだ城で寝ていますよ。とにかく、お姫様を起こしてみましょう。

では何卒、よろしくお願いいたします(__)

谷中霊園の猫

まりえです。

今日は久しぶりの晴れで、猫にたくさん出会いました。
嬉しい限りです。
そして、谷中霊園の猫たちは、夜には会社帰りのサラリーマンの
相手をしているということを発見しました。
霊園の小さな公園でそのような交流が行われている様子は、
とても微笑ましい光景でした。

porapora頑張って書き続けます。
これからよろしくお願いいたします。

雨宿り

どうも!
大西です。
もう十日も降り続ける雨。
まだまだやむ気配もないから、書き込んでおこうかな。

このブログの名前、なかなかいいかんじになりましたね。
意味(根拠)は、ないんですね。ここをどんな場にしようかって
話し合っているうちに、話の中に出て来た言葉でした。
で、しばらくその言葉から派生した話にもなったり、と。そして
いよいよ、落としどころを決めようかって時に、ぐぐぐっと持ち
上がったのがこのタイトルでした。
・・・な〜んて、わざわざ言葉にしておかないと忘れちゃいそう
なくらい、段階とか進行とか脈絡のない話だった!笑
でもね、その分カラダん中にはそんときのモヤモヤ感みたいのが
ずーと残ってます。
これから、新たに関わっていくことになった、

ほなちゃん
まりえってぃ
ヒョンムク

幸先のいいはじまりになりました。